猫日記第2回: にゃんにゃん失格
恥の多いにゃん生を送ってまいりました........
お散歩、いつもと違う帰り道......気が付けばそこは見知らぬ土地だった。
家に帰れず放浪生活を送ること数か月、自慢のキジ白カラーはただのキジ一色と見間違うほどにまで汚れきってしまい、最早大好きな飼い主さんは私に気づくことはないだろうと悲観に暮れたあの日を今でも鮮明に憶えている。
幸いにも、私は人間に恐怖を感じない。だからそれなりに可愛がってくれる人もいた。
しかし私には帰る場所がなかった。認めたくはないが、俗に言う野良猫となってしまっていたのだろう。
もちろん嫌う人もいた。そこにいるだけで追い払われ、ぞんざいな扱いを受けたことは数知れず。過酷な野良猫生活で私はみるみる痩せ細り、暖かかったかつての我が家に思いを馳せながら空腹に耐える日々を過ごしていた。
ある日のことだった。人間に捕まり収容施設へと連行された。そこは衣食住が保障された、いわば野良猫のパラダイスであった。しかし全ての野良猫が収容されるわけではもちろんなく、私のように運良く収容されても、その後の命の保障がされるとは限らなかった。何度も何度もシャンプーされ、私はようやく本来の美しさを取り戻した。
もう迷うことはない。パトロールには行かず(物理的に行けない、ということでもあるが)ここでにゃん生を送ろう。子猫たちが巣立つ日のために躾を施し、彼らがかつての私のようにどこかの家庭で幸せなにゃん生を送ることが出来るように見届けることに我がにゃん生を捧げよう........
そんなある日、黒い仔猫がやってきた。どうやら足に個性があるようだ。この仔もしっかりとしつけ、いつかの旅立ちのために.....と、思っていた。しかし彼はその個性から家族が見つからず、気づけば私と変わらない体格の立派な青年となっていた。
気づいた時には黒い青年はもういなかった。いつのまにやら家族が見つかって引っ越したらしい。私は安堵したと同時に一抹の寂しさを感じていた。
人間の入学シーズンである4月を迎え、施設にも生後2か月の子猫が新たに2頭仲間入りした。極寒の地で2月に生まれ、ここまで生き延びた子猫たちの生命力と強運に感心し躾にもより一層力が入る。一頭はすぐに家族が決まり、残されたやんちゃなエセアメショは私のスパルタ教育を一身に受けることとなった。そんな彼も新たな家族が見つかり、施設には静かな時が流れていたある日、私は唐突にキャリーケースに押し込まれたのである。
お役御免なのか........?
不安に押しつぶされそうになりながら着いた先で、キャリーから恐る恐る出てみると、唐突に左後方から何者かが首元に噛みついてきた。見てみるとあのやんちゃなエセアメショ......!!
........どうやら私の躾は失敗だったようだ。
同じく左前方にはシャーシャー威嚇しながらこちらにガンを飛ばしている黒い成猫が。もしやと思い近づいてみると、こちらもやはりかつて私が育て上げた黒青年ではないか!!!
.........やはり私の教育は間違っていたようだ。
躾係として過ごした期間、およそ三年。
我が教え子たちのその後を見ることなく過ごしていた私は、直近の教え子2頭と家族になったことでその結果を目の当たりにすることとなった。
ーどうやら焼きが回ったらしい。引退には頃合だったのかもしれないなー
そんなことを思いながら過ごし早三年半。何処よりも居住歴が長くなった我が家の窓辺で、今日も日がな一日街の往来を眺めている。
注)
三にゃんは人馴れ度合から、恐らく帰れなくなった放し飼い猫だと推測されていました。施設において長年子猫のお世話係として活躍し、今は我が家でゆっくりと過ごしています。ちなみに1キロも太りました。現在ダイエット中です。