レトルトカレー見聞録

カレー好きの筆者(アラフォー子持ち)が世に存在する様々なレトルトカレーを実食しその魅力を発信しつつダイエットを綴ります

レトルトカレー見聞録子育て日記第1回:我が家の方針

レトルトカレー見聞録として始まったこのブログ、時の流れとともに筆者は母になり産後ダイエットに勤しむという大転換期を迎えたことでブログネタにもバリエーションが増えたことに気が付いたため、新たな試みとして子育て日記を始めようかと思います。

 

 

 

記念すべき第1回は「我が家の教育方針」です。

 

 

筆者には3にゃんと1人の計4息子がおります。長男は足に難ありだけども誰よりも活発な黒cat、次男はえせアメショ、三男が刺身好きの別名・漁港catと、コロナ禍生まれの四男になります。(なお、にゃんたちの年齢は三男→長男→次男の順になっております。これは我が家に来た順に第何子か決めたことによるタイムラグです。)

 

 

このように種が異なる生き物を同時に育てる中で、勤務中のルーティーンであるYahoo!newsパトロール中に学生に降りかかった悲惨な事件を目にすると、我々は猫たちから学ぶことが非常に多いと日々痛感するのであります。

 

 

 

では具体的にどのようなことなのか、考察していきましょう。

 

 

ここ最近、いじめや教師による過剰な指導を原因に自らの命を絶とうとする若者の記事をよく目にします。そんな時いつも思うのです。逃げてしまえばいいのに、と。

 

 

我が家のにゃんずは基本的に仲良しです。猫の性質を甘く見ていた筆者夫婦が後に多頭飼育の困難を知り我がにゃんこたちの相性に感謝するとともに一歩間違えると起こっていたであろう悲劇に震えてしまうほど、わがにゃんは仲良しであり、また相性が悪いにゃんを抱えた多頭飼育はなかなかに苦労が絶えないものであることも認識しております。

 

 

 

そんなにゃんずでもけんかする時があります。その際、相手に不快感を感じたにゃんは場を離れ一人静かな所へと身を寄せ、自身の気持ちの整理がついたらいつものようにみなと共に団子になって暖をとっています。これこそが現代人にとって必要な生き方ではないかと痛感するのです。

 

 

 

よくいじめにあった子に対して「社会に出たら自分で問題を解決しなければならない、だからいじめに立ち向かうことで社会で生き抜く強さを身につけるんだ」とのたまうヤフーコメンターを目にします。

 

 

その結果命を絶ったら元も子もないのです。

 

 

我が家のにゃんたちをご覧ください。不快感から逃げる。その行動は単に自己防衛本能からきているのですが、結果としてストレスを溜めて病気になった子など一匹もおりません。これこそが生物の生きる姿なのだなと感じるのです。

 

 

人間は猫と違い思考が発達しているため「その後」を考えすぎ、身動きが取れなくなっていることが多いように感じます。指導する側もされる側も。

 

 

 

猫ズの行動から分かることは、自身に危害を加える者からは逃げるというのは生物の本能として備わっているものであり、そこに理屈や理性などは必要なく無条件で逃げるのが最適解だと思っているんだなということです。

 

そもそも、理性のある人間ならばいじめなどしません。猫ちゃんたちが娯楽のためにねずみを殺めることがあるという実験結果が出ている通り、無条件にいじめることもまた遺伝的に備わった生物の悪しき習性であります。しかし理性がある人類であればそのような行動はとらないのではないのでしょうか。その習性が色濃く出ているという事は即ち理性がないくそ野郎だということです。

 

 

 

チンパンジーに説法を説いても通用しません。

 

 

 

我々はそのようなヒト科未満にはまともに対応する必要がないのです。だからこそ逃げるのです。ヒグマと遭遇して説得する奴がいますか?という話です。答えは単純明快です。

 

 

 

SNSの発展により逃げ場がないと感じてしまうこともあるでしょう。そんなときはアンインストールしてしまえばいいのです。SNS上で悪口言われてたからと高校落ちた人などいません。SNSでの友達が多いから人間性が優れているわけでももちろんございません。

 

 

筆者、長年の友がline上で私を誘わなかったパーティーの話題で盛り上がっているのを何度も何度も目にしてきました。感じるのは疎外感のみ。機能不全極貧家庭出身の筆者は感情が死んでいる側面もあるため冷静に状況を俯瞰しておりましたが、多感な学生時代なら世界が終わるかのような絶望を感じるかもしれません。

 

 

世の中は学校という世界規模からすると鼻くそにも満たない程度のコミュニティでしか構成されていないと思い込んでしまい、世界は目の前にある教室内とネット上にしか存在しないかのように錯覚してしまうのです。

 

 

地球の裏側の貧困を我が事のように考えなさいといわれるように、自分が存在しないであろうと考えていた世界は確かに存在し、言い換えれば自分の逃げ場はどこにでもあるということです。

 

 

現実に対処するために必要なのは自分を守るために攻撃者から逃げること一択です。

 

 

 

筆者、無自覚のまま不快感を与えるlineを通知offの刑に処しました。

 

なかなかに爽快です。

 

何故もっとこのような決断に至らなかったのか10年前の己に問いただしたいくらいです。

 

 

 

我が家の教育方針の軸として、解決するべき問題と回避すべき問題、ひいては人類なのか霊長類なのかを見極める力を養うことに注力していきたいと思う所存であります。

 

 

 

なかなかに爽快です。

 

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