人生の渇望
とてもとても貧乏で、とてもとても常識が通じない両親の元末娘として生まれ育った筆者。幼少期を母の暴言サンドバックとし、そして成人してからは一時期母と姉の金蔓として生きていた時期がありました。(これは筆者の苦難の人生の10%くらいでしかないですが、これ以上は身バレ防止と書くのが億劫な内容なため割愛しますことご了承ください。)
とにかく自分の必要分は自分で稼げとの方針(3兄弟のうち筆者にのみ)だったため高校入学とともにアルバイト生活、大学受験を控えた高3時は父の不倫発覚・離婚→ご近所を巻き込んだ大騒動&メンヘラ化した母のため泣く泣く進学断念、就職もうまくいかず(筆者の地元はド田舎のため、当時は母子家庭は金融系×という風潮でした。学校側から受けるように勧められたので履歴書を提出したところ、就職指導の先生にそのように言われました。)
「人生は自力ではどうしようもない見えない力が働いている」
とよく言えば悟り、悪く言えば諦めがついた達観した人生観を会得することとなった18の冬、これから数年間は人生捨てモードに入り退廃的な享楽主義へとひた走っていったのです。
二歳違いの兄姉が(親の金で)職能短大卒業後就職し順調に社会生活を営む中、筆者には焦りの色が見えてきました。
「私には何もない」
大学で学ぶにしても実家に頼ることは出来ない(父の口癖は「金で迷惑をかけるな」)、働きながら通えて何かしらのスキルを身につけなければという理由から選んだ母校は海外大学の東アジア分校。オンライン・オンサイト併用の夕方開始授業、更に講義ごとに授業料を支払うスタイルが希望にドンピシャした筆者は海外経験もないままにアメリカ人の同級生に交じって授業を受けることとなりました。
初め2年は壁の花、3年たってようやくディスカッションに参加できるようになったのも束の間、専攻科目の講義開講が何度も何度も延期され、終いには閉校と憂き目にあい卒業を断念。ダブルワークで支えた学生生活はあえなく中退という形で幕を閉じました。
(海外生活の経験がないのでスピーキング力はそんなに高くないです。)
時が経ち母となり、息子を育てながら充実した毎日を送るなか、ふと感じる瞬間。
「私には何もない」
優遇され続けてきた兄弟に対して時折感じる嫉妬は息子を可愛がってくれている姿を目にすることで消化されますが、自身の人生の消化不良は人生の新たなるステージに進んでもなお心の中で渦巻いております。
何かが満たされない。こんなに活力溢れているのに、紙巻タバコから電子タバコに変えたことで心肺能力が改善し走ることに初めて楽しさを感じることができるようになったのに、猫たちが毎晩癒してくれるのに、何かが満たされないのです。
それはひとえに私が前向きになった証拠だと捉えております。働きづめだったころと違い時間に余裕が出てきたことで、考える機会を得て人生について真剣に向き合うようになりました。同時に、自分が何をしたいのか・求めているのかもぼんやりながらも見えてきたことが上記のような感情を湧き上がらせる要因だと認識しています。
充実した毎日における渇望、それはかつてlet it be 人生を歩んできた筆者が前進するために必要な原動力。何かしら心境・状況の変化とともに訪れるその感情は、一見悲観的ながらも筆者の人生に張りを与えてくれます。
私には、何もありません。